JR阪和線の複々線化の計画に関して、天王寺~鳳間にて上下線それぞれもう1本線路を建設する案がある。
国鉄時代は本格的に事業化されると思われていたものの、JR化に伴って消滅。今ではすでに白紙の状態となっている。
それでも輸送力不足が起きているのは確か。朝をはじめとする通勤ラッシュの時間帯では平均して3~4分間隔で運転されている。すでに線路容量の限界に達している。
過密ダイヤの天王寺~鳳
天王寺~鳳の区間は阪和線の中でも最も本数が多い区間である。朝ラッシュの7時台の時刻表を見ると、鳳駅の天王寺方面の電車は合計21本ある。
各駅停車が7本、快速(直通快速含む)が14本運転されている。複線ということで、優等列車が各駅停車を追い抜ける駅が限られているため、毎日電車の渋滞が起きている。
快速とは言え、通過駅が多いにも関わらずあまり所要時間が短縮できていない。前を走る各停に追いついてしまってノロノロ運転をする電車が続く。
なお、快速が先頭の各停に追いついて徐行運転になる現象は日中のオフピークの時間帯でもしばしばみられる。
複線のためダイヤ上余裕がないことが理由なのは明白。昼間でも快速電車の速達化の弊害になっているのもわかる。
国鉄時代の阪和線の複々線化計画
国鉄時代で阪和線の複々線化の計画が具体的に発表されたのは、1958年3月に提出された都市交通審議会である。
「大阪市およびその周辺における都市交通について」という答申で、阪和線の天王寺~鳳間で複々線化を進めるという内容だった。
この計画は1975年ごろに完成させて供用開始させるという案になっていた。ちょうど高度経済成長期の時代だったが、すでに50年以上も前から計画されていたことになる。
このころの阪和線はまだ関西国際空港ができていない時代だったため、今よりも本数が少なかった。
計画が白紙に
しかし、その後は泉北高速鉄道線の計画が具体的になったり、費用対効果の面から阪和線の複々線化は消滅して白紙になった。
もともと阪和線は南海本線を並行しているため、輸送力を2つの路線で分け合うことができるという点からあまり重要視はされてこなかった背景がある。
さらに、1973年のオイルショックで経済成長に陰りが出たことも理由の1つにあたると考えられる。
その後、1994年には関西国際空港が開業し、それに伴って関西空港線もできた。天王寺~関西空港駅では新たに快速電車が運行開始になった。
関空ができたことで本数が増え、これが今の過密ダイヤの原因の1つになった。複々線化を求める意見が出たのもこのころである。
>>【JR西日本】阪和線に「新快速」はない! その理由とは何か?
連続立体交差事業
複々線化の計画とは対照的に、阪和線の連続立体交差事業は順調に進められている。大阪市内の区間に限れば、杉本町駅付近を除いては高架化が完了している。
大阪市内以外のエリアについても、2017年には東岸和田駅とその周辺の高架化事業も完成した。開かずの踏切の問題も解消されつつある。
最終的には天王寺~日根野間のすべての区間にて高架化を進めることが目標となっている。
現時点ではゴールにはまだほど遠い。とはいえ、複々線化の計画のように完全に白紙化されているわけではない。