小学生でもわかる「北陸新幹線の歴史」~途中の計画変更から延伸へ

北陸新幹線は1997年10月1日に高崎~長野間、2015年3月14日に長野~金沢間が開業して全線開業を果たす。金沢~敦賀~新大阪間は建設中または計画中。整備新幹線としては最初に部分開業を果たす。

どのような計画から、どんな経緯で建設され、その後どのようにしてスピードアップしたのか、今回は小学生でもわかるように解説する。


年表

出来事
1969年 新全国総合開発計画閣議決定
1972年 全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示
1972年 全国新幹線鉄道整備法が公布。経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が実施されることが決定。
1973年 整備計画決定
1982年 財政赤字の拡大、国鉄の経営悪化を理由に整備新幹線の建設計画の当面見合わせを閣議決定
1987年 整備新幹線計画見合わせの閣議決定を変更
1988年 「運輸省案」が公表。高崎~軽井沢間が整備優先順位第1位に。
1989年 軽井沢~長野間にてフル規格での整備を決定、信越本線横川~軽井沢間の廃止を決定。高崎~軽井沢間が着工。
1990年 軽井沢~長野間にてフル規格での整備を決定、並行在来線(信越本線)の経営分離を決定。
1991年 軽井沢~長野間が着工。
1992年 小矢部市~金沢市間の暫定整備計画決定。石動 – 金沢間の工事実施計画(新幹線鉄道規格新線)認可、着工。(=スーパー特急方式)
1993年 糸魚川 – 魚津間の工事実施計画(新幹線鉄道規格新線)認可、着工。(=スーパー特急方式)
1997年 高崎~長野間が開業。「長野新幹線」として運転開始。最高速度260km/h。
2000年 長野~富山間をフル規格での建設を決定。
2004年 富山 – 石動間、金沢 – 金沢車両基地をフル規格での建設を決定。
2015年 長野~金沢間が開業。

上記は北陸新幹線(東京~金沢間)の歴史を示した年表。

小学3年生でもわかるようにすると

1960年後半、東海道新幹線ができて日本中が新幹線ブームに湧いていたころ、北陸の人たちもそれに憧れていました。
そんな中、田中角栄という人が総理大臣になりました。田中角栄は言いました。

田中角栄:全国に新幹線作って、田舎と都会の行き来をしやすくするぞ!

この時、計画された新幹線の1つが、北陸新幹線でした。東海道新幹線と山陽新幹線は、既存の在来線があまりにも忙し過ぎてパンク状態だったことが理由で作られた新幹線でした。しかし、田中角栄は、そんな新幹線を経済や観光の発展のために、より全国的に作ろうとしました。
そして、1972年、田中角栄は言いました。

田中角栄:北陸新幹線を作ります!

最初はルート選定からスタートしました。東京から長野までは、高崎や軽井沢を経由するルートで決定しました。
一方の長野から富山までの区間は、当初は北アルプスの山々を直線的に貫通する案が出ていました。しかし、北アルプスが活火山であること、長いトンネルを掘る技術が怪しかったことで、今のように新潟県上越市を経由する案となりました。
しかし、そのころ、当時新幹線を走らせていた国鉄はこう言いました。

国鉄:うわあ、カネがねーな! というわけで、ちょっと新幹線を作るのはストップします。

当時、国鉄は色々赤字路線を抱え込んでいたこともあって、お金がない貧乏状態でした。そして、整備新幹線の計画は中断されることとなり、北陸新幹線もその1つでした。
しかし、その後は国鉄が民営化されることが決まり、財政難も解消される目途が立ったことで、新幹線の計画は再開されました。ただ、政府はこんなことを言いました。

政府:新幹線が通る都道府県には、建設費の一部を払ってもらいます! また、新幹線が完成したら、並行する在来線は廃止します!

新幹線計画が凍結された際、政府はこのように、新幹線を作るためにかかるお金を沿線の自治体にも払ってもらうこととしました。また、並行する在来線はもう重要ではないということで、JRから切り離すことを決めました。これに対しては、沿線の自治体からは反対の意見がありました。
さらに、政府はこう言いました。

政府:節約のため、線路は一部だけ新しく作って、車両は普通の特急列車を走らせたいと思います!

1988年、政府はこのような考えを発表しました、これが、いわゆる「運輸省案」と呼ばれる計画です。すでにある在来線のうち、くねくねしていてスピードが出せない区間では、真っ直ぐな線路を新しく建設し、比較的真っ直ぐな区間はそのまま在来線を使い続けるという計画が発表されました。このような新幹線みたいだけど完全ではない方式を「スーパー特急」方式といいます。

なんか中途半端な計画だったことから、北陸3県はこう言いました。

北陸3県:おい、ふざけんなよ! それじゃあ、普通の在来線の特急と大して変わんねーだろ!

しかも、「スーパー特急」方式では、線路自体は新しく建設することになったため、建設するためのお金の節約にはあまり効果がないと言われました。

沿線の県と国で色々とバトルしていたころ、長野オリンピックが開催されることが決まりました。このため、まずは東京から長野までの区間を優先して建設することとなりました。そして1997年、長野までがオープンしました。この時は「長野新幹線」という名前が与えられました。

2000年以降になると政府は、新幹線はフル規格で建設するのが好ましいと考えるようになりました。そして、これまでのように一部は在来線を使用する「スーパー特急」方式ではなく、全線フル規格で建設することを決定し、長野から金沢までの区間の建設を認めました。

そして、2015年には長野~金沢間がオープンしました。

今後は福井県の敦賀までオープンする予定となっています。さらに、将来的には新大阪駅まで延伸する模様です。なんか楽しみですね。

北陸新幹線の計画から開業まで色々あった。