九州新幹線は2004年3月13日に新八代~鹿児島中央間、2011年3月12日に博多~新八代間が開業して全線開業を果たす。整備新幹線としては最初に全線開業を果たす。
どのような計画から、どんな経緯で建設され、その後どのようにしてスピードアップしたのか、今回は小学生でもわかるように解説する。
年表
年 | 出来事 |
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1969年 | 新全国総合開発計画閣議決定 |
1972年 | 全国新幹線鉄道整備法第4条第1項の規定による『建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画』により公示 |
1972年 | 全国新幹線鉄道整備法が公布。経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が実施されることが決定。 |
1973年 | 整備計画決定 |
1982年 | 財政赤字の拡大、国鉄の経営悪化を理由に整備新幹線の建設計画の当面見合わせを閣議決定 |
1987年 | 整備新幹線計画見合わせの閣議決定を変更 |
1988年 | 「運輸省案」が公表 |
1990年 | 八代~西鹿児島間のスーパー特急方式による着工を決定。並行在来線をJRから経営分離すると明言。 |
1991年 | 八代~西鹿児島間が着工(スーパー特急方式)。 |
1998年 | 船小屋信号場~新八代間をスーパー特急方式で着工。 |
2000年 | 博多~船小屋信号場間が着工。全線フル規格へ変更を決定。 |
2004年 | 新八代駅~鹿児島中央駅間が開業。鹿児島本線の八代駅~川内駅間がJR九州から肥薩おれんじ鉄道に移管(経営分離)。 |
2011年 | 博多駅~新八代駅間が開業し、九州新幹線(鹿児島ルート)が全線開業。 |
上記は九州新幹線(博多~鹿児島中央間)の歴史を示した年表。
小学3年生でもわかるようにすると
1970年代の始まりの頃、当時総理大臣だった人がいます。田中角栄です。田中角栄は言いました。
田中角栄:全国に新幹線作って、田舎と都会の行き来をしやすくするぞ!
意味がよくわからないかもしれませんが、当時はまだ、新幹線や高速道路といった交通網はあまり整っていませんでした。地下鉄とかが次々と完成していた東京や大阪とは違い、田舎は電気がやっと通ったという感じの状態でした。
そんな中、総理大臣だった田中角栄は田舎出身だったこともあって、このことにとても心を痛めていました。そして、田舎へ新幹線を作れば、都会との行き来がしやすくなって、いろいろと栄えるのではないかと考えました。
この時、計画された新幹線の1つが、九州新幹線でした。そして、1972年、田中角栄は言いました。
田中角栄:九州新幹線を作ります!
しかし、実際に九州新幹線を作る段取りをしていたところ、当時全国の新幹線を走らせていた国鉄はこう言いました。
国鉄:うわあ、カネがねーな!
当時、国鉄は色々赤字路線を抱え込んでいたこともあって、お金がない貧乏状態でした。そして、こう言いました。
カネがないんで、これから作る予定だった新幹線の計画はストップさせます!
九州新幹線も計画が中断されることとなった路線の1つでした。
その後、やっぱり九州にも速い電車が必要だと国は認めました。しかし、お金がなかったことで、こう言いました。
政府:節約のため、線路は一部だけ新しく作って、車両は普通の特急列車を走らせたいと思います!
1988年、政府はこのような考えを発表しました、これが、いわゆる「運輸省案」と呼ばれる計画です。すでにある在来線のうち、くねくねしていてスピードが出せない区間では、真っ直ぐな線路を新しく建設し、比較的真っ直ぐな区間はそのまま在来線を使い続けるという計画が発表されました。このような新幹線みたいだけど完全ではない方式を「スーパー特急」方式といいます。
そして、1991年には、この方法で熊本県の「やつしろ」から鹿児島まで建設されることが決まりました。
ただ、「スーパー特急」方式には色々と文句を言う人がかなり多くいました。人々は言いました。
九州各地の人たち:おい、ふざけんなよ! それじゃあ、普通の在来線の特急と大して変わんねーだろ!
しかも、「スーパー特急」方式では、線路自体は新しく建設することになったため、建設するためのお金の節約にはあまり効果がないと言われました。
そんな感じだったため、2000年になると政府は、九州新幹線は全線でフル規格、つまり本格的な新幹線として建設することを決めました。これまで手を付けていなかった、博多から新八代までの区間も建設がスタートしました。
ここまでが、九州新幹線の計画から開業までの流れ。この先は、開業後の流れ。
2004年、新八代~鹿児島中央間がオープンしました。
2011年には、博多~新八代間がオープンし、九州新幹線の全線が開通しました。
博多駅では山陽新幹線とつながったことで、一部の列車は山陽新幹線に乗り入れて、新大阪駅まで通しで走るようになりました。
特に熊本県の人とか鹿児島県の人はこう言いました。
熊本・鹿児島の人たち:大阪まで簡単に行けるようになって、かなり便利になったなあ!