小学生でもわかる「上越新幹線の歴史」~なぜ早期開業できた?

上越新幹線

上越新幹線は1982年11月15日に大宮~新潟間、1991年6月20日に東京駅まで開業して全線開業を果たす。日本で4番目にできた新幹線路線。

どのような計画から、どんな経緯で建設され、その後どのようにしてスピードアップしたのか、今回は小学生でもわかるように解説する。


年表

出来事
1969年 「新全国総合開発計画」が閣議決定。上越新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が登場。
1970年 全国新幹線鉄道整備法が公布。経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が実施されることが決定。
1971年 大宮~新潟間が基本計画、整備計画が決定し、年内に着工。
1979年 大清水トンネルで火災事故発生、中山トンネル四方木工区で出水事故(1回目)
1980年 中山トンネル高山工区で出水事故(2回目)
1982年 大宮~新潟間が開業。最高速度210km/h。
1985年 上野~大宮間が開業。
1988年 最高速度を240km/hへ引き上げ。
1990年 最高速度を275km/hへ引き上げ、大清水トンネル内の下り勾配(上毛高原~越後湯沢間)で実施。
1991年 東京~上野間が開業。
1994年 E1系Max運転開始。
1998年 E2系運転開始。
1999年 最高速度を240km/hへ引き下げ。275km/hへ運転を中止。
2001年 E4系Max運転開始。
2004年 新潟県中越地震により、「とき325号」(200系K25編成)が脱線。負傷者ゼロ。
2019年 E7系運転開始。
2021年 上野~大宮間の埼玉県内の区間の最高速度を110km/hから130km/hへ引き上げ。

上記は上越新幹線(東京~新青森間)の歴史を示した年表。

小学3年生でもわかるようにすると

東海道新幹線がオープンして新幹線が世間的に注目されていた1960年代の終わりの頃、とある人が総理大臣になりました。それが、田中角栄です。田中角栄は言いました。

田中角栄:新潟と群馬の間にある山、邪魔だなあ! 全部切り崩してやろうか!

頭がおかしい考えだと思うかもしれませんが、田中角栄は新潟県出身の総理大臣でした。田中角栄は、自分の地元である新潟が、群馬県との県境にそびえ立つ山があるために時代遅れになっていると感じていました。そこで、山を取り払えば、東京との行き来が楽になって、新潟が発展すると考えていました。
とはいえ、実際にそんなことをするのは無理ですね。そこで、長いトンネルを掘って、新幹線や高速道路を作ることを考えました。そして、1969年、田中角栄は言いました。

田中角栄:東京から新潟まで行ける新幹線を作るぞ!

当時、物凄く速いと注目されていた新幹線を作れば、新潟と東京の行き来がしやすくなり、新潟県が栄えると考えていました。
総理大臣の言う事であれば、国の機関で働く人達は無視できません。田中角栄は総理大臣という立場を利用し、東京から新潟へつながる新幹線を作るように言いました。これが、上越新幹線です。上越新幹線は、正しくは新宿駅から新潟駅までとされていました。

具体的な計画が出た1969年からわずか2年後の1971年、上越新幹線の建設工事がスタートしました。当時の日本は何でもかんでもイケイケの状態、新幹線を作る話はめちゃめちゃ早く進んでいきました。

工事は順調に進んでいるかのように思いました。しかし、1979年、群馬県と新潟県の県境のトンネルで火災事故が起きました。工事現場で働いていた人のうち、16人が亡くなりました。さらに、中山トンネルというところでは、トンネルを掘ったところ大量の水が噴出する事件が起こりました。国鉄はこう言いました。

国鉄:中山トンネルのルートを少し変更するぞ! ちょっとくねくねしちゃうけど、仕方がないな。

これによって、新幹線のルートは変わることとなり、さらにきついカーブができることとなってしまいました。

それでも、1982年には上越新幹線の大宮新潟間がオープンしました。東北新幹線より少し遅れてしまいましたが、ほぼ同じ時期ではありました。
この時の車両は、東北新幹線と同じ200系が使われ、最高速度は時速240キロとなりました。当時の東海道新幹線と山陽新幹線は210キロが最高だったため、上越新幹線はこれを上回りました。

ここまでが、上越新幹線の計画から開業までの流れ。この先は、開業後の流れ。

1985年には、東北新幹線へ乗り入れる形で上野駅までがオープンしました。国鉄がJRとなった後の1990年には、東京駅まで延びました。新潟県の人たちはこう言いました。

新潟県の人たち:ああ、東京へ行くのが大分楽になったなあ! 田中角栄のおかげだぜ!

また、1990年には、上越新幹線の最高速度は一部区間で時速275キロにスピードアップしました。この時、日本国内の新幹線としては一番速いスピードでした。
しかし、実際に275キロ出せたのは、大清水トンネルという群馬県と新潟県の県境にあるトンネルの下り坂のみで、あまり意味がありませんでした。1999年には、最高速度は元の240キロに戻されました。
1990年後半からは、山陽新幹線では時速300キロ、2013年からは東北新幹線で320キロ、2015年には、くねくねしている東海道新幹線でも285キロになり、新しくオープンした北陸新幹線や九州新幹線、北海道新幹線でも最高速度は260キロとなりました。上越新幹線はこう言っています。

上越新幹線:俺、ビリじゃねーかよ!

今では、上越新幹線は「まともな新幹線」の中では一番遅い新幹線となってしまいました。
また、2004年、新潟県内で大きな地震が起こりました。これが、新潟県中越地震です。この時、上越新幹線を走っていた列車が脱線してしまいました。日本国内の新幹線としては初めての脱線事故となってしまいました。幸いなことに、死傷者はゼロでしたが、新幹線の黒歴史を作ることとなってしまいました。
また、上越新幹線の当初の計画だった新宿駅乗り入れは、いつの間にか蒸発してしまいました。JR東日本はこう言っています。

JR東日本:カネがねーよー。

お金のこともあって、上越新幹線の新宿駅までの延伸計画はまったく進んでいません。一生できないとも言われています。
さらに、乗客たちはこう言っています。

乗客たち:あれ!? YouTube見らんねーじゃん! あれ!? スマホ充電もできねーじゃん!

上越新幹線では新しい車両が出てきていないため、Wi-Fiやコンセントが付いていません(E2系、E4系の場合)。今後は新しい車両が出てくることが予定されていますが、車両の面でも東北新幹線や北陸新幹線などに遅れることとなってしまいました。