なぜ京葉線の東京駅ホームが遠いのか? 大人の事情を解説

京葉線

<質問>なぜJR東京駅の京葉線のホームだけ新幹線・在来線の番線よりも遠く離れているのか?

<解答>鉄道を地下に建設する際は公道の直下の空間でなければならず、建設当時に地下スペースで残っていたのが今の鍛冶橋通りの下しかなかったため。

在来線や新幹線ホームの直下の東西方向は既存の建造物がすでにあったため、新規で鉄道を地下であっても建設できなかったことが要因。

今日では通勤客からディズニー客までで混雑しやすい京葉線の過去と未来構想から読み解く。


地上のホームから遠く離れている理由

まず、鉄道路線を地下に建設するためには色々と条件が決められている。

新規で線路を建設するためには、基本的に次の項目を満たさなければならない。

  • 鉄道事業に必要な空間を確保する
  • 周辺施設との連絡通路確保に対応できる構造にする
  • 道路敷を最大限に利用し、民地を極力少なくする

引用」専門誌『土木技術』の1987年3月号

つまり、線路を建設できるほどの地下空間があること、地上や東京駅在来線改札内との連絡通路を建設できる空間があること、可能な限り公道直下に建設して民有地の直下には入らないとうにすることの3つが大前提。

これを満たせたのが今の鍛冶橋通りの直下の場所だった。

参考:東京駅の京葉線ホームまでの乗り換え時間を測定! 何分かかる?

線路を建設できる空間

京葉線の東京駅ホーム

京葉線の新木場~東京間の区間にて建設認可が下りたのは1983年のこと。

この時点ではすでに地下空間には総武快速線・横須賀線、地下鉄東西線が通っていた。

京葉線の線路を建設するルートの1つには永代通りがあったものの、ここは東西線がすでに通っていたことで断念された。

東京駅との連絡ができる場所

京葉線の連絡通路

京葉線の起点が東京駅となったことで、できるだけ新幹線や在来線ホームと連絡できる場所に改札とホームを作る必要があった。

しかし、既存の新幹線・在来線のホーム直下に京葉線のホームを建設すると、今度は地上との連絡通路(階段やエスカレーター)を作るスペースがないおそれが出た。

加えて既存路線はすべて南北方向に向いていたことで、千葉方面へ向かう京葉線を建設すると大きくカーブする構造にする必要が出た。

永代通り直下も前述の通り。東西線よりもさらに深いところに建設することも物理的には可能だったものの、地上のとの連絡通路の確保の面で条件が合わなかったのもある。

公道の直下に建設する必要性

鍛冶橋通り

民有地の地下に鉄道を建設する際には色々と制限が出てくる。工法の問題と権利上の問題の2つがある。

いずれも鉄道の建設において、仮に実現できたとしても着工までには長い月日がかかる内容。

工法の問題(掘削手順)

まずは工法の問題。

地下トンネルを建設するには重機でトンエルを掘る入り口が必要。水平方向に掘る「シールド工法」であっても、その重機の入り口は必要。

民有地では既存の建物を取り壊してから工事に入る必要が出てくる。これは現実的ではない。

公道直下であれば道路上から穴を掘って工事に取り掛かれる。土地所有者との協議も不要で、事務的な手続きも簡単。

権利上の問題(地権者との交渉)

権利上の問題は、地上の土地所有者の許可なしにはその地下空間を利用することができない点。

「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」(第二百七条)と定めている。

民有地の地下に建設するのであれば、地上の土地を買収するか、もしくはトンネルを掘る部分の権利(区分地上権)を交渉の上有償で獲得する必要がある。

公道の直下ならこうした権利問題はない。国や都道府県、市区町村の認可がいるが、そもそも国や地方自治体は基本的に鉄道建設には賛成のため、問題は生じにくい。

こうした点で、京葉線は今のような遠い場所となった。

そもそも、なぜ後から東京駅乗り入れになった?

◎京葉線のルートが変更された経緯

  • 成田新幹線建設事業が中止に
  • 貨物列車の衰退(トラック輸送を指すモータリゼーションの台頭)
  • 沿線の宅地開発への都市計画変更

元々は京葉線=貨物線の予定だった

貨物列車

もともと、京葉線は貨物線として計画されていた路線。

武蔵野線も貨物線であったため、そこから東京湾岸エリアまで線路を伸ばし、沿線に貨物ターミナルを作る計画であった。

1975年に蘇我~千葉貨物ターミナル間が開業した際にも、あくまでも貨物線として開業した。

その後も新木場駅まで延伸し、さらには東京貨物ターミナル(品川区)へ至る予定だった。

新木場駅から都心側のルートは今の東京臨海高速鉄道りんかい線が通る。当初、ここも国鉄になる予定だった。

貨物の鉄道輸送の衰退に伴う旅客化

モータリゼーション

しかし、1980年代以降はモータリゼーション普及で貨物列車が衰退。東京湾岸エリアも工業地帯から住宅街への都市計画も変更された。

さらに臨海部にテーマパーク(東京ディズニーランドのこと)や幕張新都心(海浜幕張駅周辺)などを建設する計画が持ち上がったため、京葉線を旅客することになった。

旅客化によって、東京貨物ターミナルへ至る路線ではなく、都心方面へ向かうことが求められるようになった。

これによってルートが変更。新木場駅からは、京葉線はりんかい線方面ではなく、東京駅へ乗り入れるという構想に変更。

新木場駅から潮見駅に至る区間にて大きく90度のカーブがある理由はここにある。後からルートが変更されたことで、無理矢理きついカーブが作られた。

そして、京葉線は今では首都圏の都心と郊外を結ぶ通勤路線へと移り変わった。

>>京葉線の混雑状況を時間帯・区間ごとに調査! ピークの目安

現在では朝夕となれば大混雑するほど利用者数が多い路線なのは確か。

京葉線ホーム=成田新幹線用のホーム

成田新幹線

一方、東京駅からは成田空港まで新幹線を建設する計画があった。そのため、東京駅と有楽町駅にはホームを作るためのスペースを地下に用意していた。

当初、この計画では東京駅を出て現在の潮見駅付近から地下鉄東西線と並行して西船橋駅付近を通過し、そのまま今の北総鉄道線、京成成田スカイアクセス線の線路があるところを通る予定であった。

一部の地域では建設工事が1976年に始まっていた。

しかし、成田新幹線の計画は沿線の自治体や住民から強く反対され、1983年には工事が凍結されて白紙に。

1986年には当時の運輸大臣が成田新幹線の建設を中止すると表明し、計画は完全に消えた。

とはいえ、一部の土地はすでに確保できていた。その1つが東京駅の地下ホームであり、現在京葉線が発着している場所である。

成田新幹線で使われるはずだったところを京葉線が使うこととなったため、他の路線のホームから遠いというわけだ。

当初、京葉線の起点は新木場駅だったが、東京駅の地下ホームを活用することができるようになったため、線路を延伸して東京駅まで乗り入れることになったという経緯もある。

新宿駅へ延伸の企みも

京葉線の延伸

ところで、成田新幹線の構想があった同じ時期には上越新幹線も計画されていた。

実際には、上越新幹線は東北新幹線と同じく大宮駅発着から上野駅発着、さらに東京駅延伸となった。しかし、当初の計画では新宿駅発着が想定されていた。

大宮~東京間は東北新幹線、大宮~新宿間は上越新幹線と住み分けが行われるはずだった。

成田新幹線も同じように東京駅を経由して、最終的には新宿駅を発着する構想が存在していた。

成田新幹線ホームがほかの東海道新幹線やその他在来線に平行して南北を向くのではなく東西方向に向いていたのはこのため。

京葉線も新宿・三鷹方面へ延伸を計画

現在の京葉線もまた新宿・三鷹方面への延伸構想が存在。

>>京葉線の延伸はあり得る? 新宿駅まで乗り入れる計画とは!?

2000年に行われた運輸政策審議会「東京圏の鉄道基本計画についての答申(運輸政策審議会答申第18号)」でこのことが明確に提示された。

東京駅から新宿を経て三鷹までの地下新線を建設し、三鷹から立川まで中央線の複々線で建設するという案。

つまり、京葉線は最終的には三鷹駅が起終点になると見方が示された。

さらに、2016年には交通政策審議会答申でも、「東京~新宿~三鷹間延伸」と「中央線の複々線化」が提示された。

いずれも「地域の成長に応じた鉄道ネットワークの充実に資するプロジェクト」という表現がされている。

ただし、実現可能性に関しては微妙なところとも指摘された。

難点として収支採算性が懸念材料。すでに中央線快速が東京駅発着で存在すること、地下鉄東西線や都営新宿線が並行して走っていることもあって、新宿駅を含めて京葉線の延伸計画の実現のめどは立っていない。


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