東北新幹線は1982年6月23日に大宮~盛岡間、2010年12月4日に新青森駅まで開業して全線開業を果たす。日本で3番目にできた新幹線路線。
どのような計画から、どんな経緯で建設され、その後どのようにしてスピードアップしたのか、今回は小学生でもわかるように解説する。
年表
年 | 出来事 |
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1969年 | 「新全国総合開発計画」が閣議決定。東北新幹線に相当する新幹線鉄道の建設構想が登場。 |
1970年 | 全国新幹線鉄道整備法が公布。経済発展や地域の振興を目的とした新幹線の建設が実施されることが決定。東京~盛岡間が着工。 |
1971年 | 基本計画が決定。東京都を起点に「宇都宮市附近、仙台市附近」を主要な経過地として盛岡市を終点とするとされた。 |
1972年 | 東京都~青森市の基本計画が決定(盛岡から青森までと改正)。 |
1973年 | 盛岡市~青森市の整備計画が決定(整備新幹線) |
1976年 | 認可時点の完成目標とされたが、1973年のオイルショックで停滞。 |
1982年 | 大宮~盛岡間が開業。この時の最高速度は210km/h。 |
1985年 | 上野~大宮間が開業。最高速度240km/hへ引き上げ。 |
1991年 | 東京~上野間が開業。盛岡~青森間が着工。沼宮内~八戸間は標準軌新線(フル規格)、盛岡~沼宮内間、八戸~青森間は新幹線鉄道直通線(ミニ新幹線方式)の予定だった。 |
1996年 | 全線で標準軌新線(フル規格)とすることが決定 |
1997年 | E2系登場、最高速度275km/hへ引き上げ。 |
2001年 | 盛岡~八戸間が開業。「はやて」運転開始。 |
2010年 | 八戸~新青森間が開業。これにより東北新幹線は全線開業。 |
2011年 | E5系、「はやぶさ」運転開始。最高速度を300km/hへ引き上げ。 |
2013年 | 最高速度を320km/hへ引き上げ。 |
2016年 | 北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が開業、一部列車が新函館北斗駅まで乗り入れ開始。 |
2021年 | 上野~大宮間の埼玉県内の区間の最高速度を110km/hから130km/hへ引き上げ。 |
上記は東北新幹線(東京~新青森間)の歴史を示した年表。
小学3年生でもわかるようにすると
時は1960年代後半、日本では東海道新幹線が完成し、さらに山陽新幹線も工事がスタートしていました。そのころ、東北の人たちは言いました。
東北の人たち:東海道新幹線とか山陽新幹線いいなあ! 俺たちも東京まで行けるはいぇえ電車ほしいなあ!
当時、東海道新幹線は開業済み、山陽新幹線も建設中でした。そんな中、東北地方でも速い電車が欲しいという声が上がりました。ちょうどその頃、とある人が総理大臣になりました。それが、田中角栄です。田中角栄は言いました。
田中角栄:今の日本は東京とか大阪ばかりを優遇している。もっと田舎のことを考えるべきだ!
意味がよくわからないかもしれませんが、当時は東京や大阪、名古屋などの大きな町だけ水道、ガス、高速道路、そして新幹線などの鉄道が作られ、田舎ではまだまだそんなものはほとんどありませんでした。しかし、田中角栄は田舎出身で、高校にも大学にも行っていないレアな総理大臣でした。そんな中、都会と比べて田舎が時代遅れになっていることを嫌がっていました。
それを解決するための方法として考えたのが、新幹線を作ることでした。1972年、田中角栄は言いました。
田中角栄:岩手県、新潟県、そして成田空港へ行ける新幹線を作るぞ!
田舎まで新幹線を作れば東京との行き来がしやすくなるため、田舎も都会みたいに地域が進化すると考えました。
なお、東海道新幹線と山陽新幹線は明治時代から存在していた在来線を走る電車があまりにも多くて、常に線路がいっぱいいっぱいだったことが、新幹線を作った理由でした。東北新幹線はこのような理由ではなく、最初から東北地方の田舎を進化させることが一番の理由でした。東京みたいな大都会との行き来をしやすくすることが目的だったので、スピードを出せることが第一に考えられました。
計画では、最高速度は時速260キロを予定していました。さらに、1973年には、東北新幹線は青森、さらにはそこから北海道新幹線として札幌まで延長するという計画もできました。
そんな中、とあるクレームが来ました。新幹線の線路が建設されることとなった東京に近い埼玉県内の地域では、住んでいる人たちはこう言いました。
埼玉県南部の住民:おい、ふざけんなよ! 新幹線なんかできたらうるさくなって、夜も寝れなくなるだろ!
当時、東海道新幹線が通っていた名古屋や静岡などでは騒音が問題となっていて、近所からクレームが来ていました。埼玉県内の人たちも、新幹線ができたらうるさくなることを心配し、激しい反対運動は結構起こりました。そこで、国鉄は言いました。
せっかくなので、新しい在来線の電車も作りたいと思います。これで、皆さんも暮らしが少し便利になるかと思います。
国鉄は、新宿などへ簡単に行ける普通の電車の路線も新幹線の線路の隣に作ることを提案しました。これが埼京線です。埼京線は地域住民の新幹線反対の考えを少しでも抑えるために作られました。
さらに、住宅密集地をなるべく避けるように線路を作ることとしました。これについて、地域の人々はこう言いました。
埼玉県南部の住民:え、まじで? しょーがねーなあ。 だったら新幹線作ってもいいよ!
これで、反対していた人達も少しは認めるようになりました。
そして、1982年、まずは大宮駅から盛岡駅までの間がオープンしました。この時の車両は200系が使われ、最高速度は時速240キロとなりました。当時の東海道新幹線と山陽新幹線は210キロが最高だったため、東北新幹線はこれよりも速いスピードとなりました。
ここまでが、東北新幹線の計画から開業までの流れ。この先は、開業後の流れ。
1985年には、上野駅までがオープンしました。国鉄がJRとなった後の1990年には、東京駅まで延びました。
その後、1994年には、2階建ての新幹線の車両が登場しました。JR東日本はこう言いました。
栃木県から東京まで新幹線で通勤する人が増えているなあ! よし、新幹線を2階建てにして、1回でよりたくさんの人が乗れるようにしよう!
当時、新幹線通勤をする人が増えていました。そこで、1本の列車より多くの乗客が乗れるように2階建て車両を取り入れました。
その後、1997年には、最高速度は時速275キロにスピードアップしました。
2002年には盛岡から八戸までがオープンし、「はやて」という新しい名前の列車が登場しました。2010年には新青森まで完成し、2011年には「はやぶさ」が登場、最高速度は時速320キロにスピードアップしました。
2016年には北海道新幹線の一部もオープンし、現在では東京から東北新幹線を通じて北海道まで行けるようになりました。今後は北海道新幹線の札幌までのオープンが予定されています。楽しみですね。