
地方出身は恥ずかしいことととらえている人は少数派とは言えないくらいいると感じる。「田舎コンプレックス」という言葉がある通り、実際の社会においてはこのような印象が根強い。
都会は上、地方は下。このように、東京などの大都市を出身とする人または住んでいる人は、地方の田舎を出身としたり住んでいる人よりも社会的な地位や身分が高いという感情が残る。
東京一極集中が問題視されていて、地方創生というキャッチフレーズがあるが、人々のイメージとしては以前と同じであり続けている。
都会と田舎のそれぞれの第一印象
都会 | 田舎 | |
出身地 | 高度な教育を受け、文化に触れている | まともな教育を受けず、文化ではない |
裕福度 | お金持ち | 貧乏 |
便利さ | すべてそろっている | 何もない |
感情 | 誇りに思う | 恥ずかしい |
都会と田舎の第一印象を比較すると、主な項目ではこのような形になりやすい。
あくまでも大都市での生活しか経験したことがない人の目線であるが、日本全体として上のような印象が植え付けられていると感じる。
確かに田舎には都会では考えられないような好ましくない風習もゼロではない。
とはいえ、それでも地方をすべて一括りにして身分が低いかのようにみなす点には何も合理的な理由がない。それでも負の印象があるのは確か。
人間性すら否定される地方出身者

地方の田舎で育った人は、ときどき人間性すら否定されるような場面もあるようだ。
- 社会ルールやマナーを知らない
- お金がなくて貧乏な暮らしをしている
- ろくな教育を受けていなくて教養がない
まず社会ルールやマナーを知らないというイメージについてである。日本各地には地域独特のルールやマナーがあるのが珍しいことではない。
大都市に出ても、他の地域から来た人だとその地ならではのルールやマナーを知らず、地元のやり方で通してしまうことがある。それを見た大都市部の人たちが反感を持って感じて、このようなイメージになるようだ。
さらに地域性のある方言や訛りも要因になりやすい。共通語ではない言葉は、公式に認められていない下品な言葉と考える人がいる。
>>方言や訛り、これは恥ずかしい!? 標準語に絶対直すべき!?
裕福度についても、富裕層の多くは都市部に住んでいる人が多いことから、田舎は全員が貧乏だと認識されやすい。
そして、教育に関しても都会がまとも、田舎はろくでなしというイメージがある。受験戦争が大都市部で盛んに行われていることがその一因と考えられるが、地方の学校教育そのものが遅れているという印象にもつながっている。
都市部・地方部それぞれの一部の人たちの動向だけで、地方出身者の全体の人間性が否定されてしまっているのが実態と言える。
田舎コンプレックスを抱える理由
田舎コンプレックスを抱える理由としては、一部の都市部の人たちの誤ったイメージから劣等感を地方出身者が感じてしまうためである。
さらに、田舎で育って進学や就職などで都市部で移住すると、都市部で育った人なら知っていることがわからないという場面に出くわすことがある。
加えて、地域性が現れる方言や訛りが大きな影響を与える。首都圏だと、共通語ではない言葉を話すと変な目で見られることがある。
- 方言や訛りがある
- 電車の切符の買い方がわからない
- 遊ぶところ=イオンのみだった
自分の過去を振り返ったり、都市部に出て経験して、これらが自分自身に当てはまるとなると「田舎コンプレックス」を感じることがある。
地方出身が恥ずかしいは偏見

もちろん、地方出身であることが恥ずかしいというのは完全なる偏見に過ぎない。貧しいとか何もない環境で育ったというのは誤りである。
都市部の人が想像する田舎というのは、そもそも田畑や山林が広がる風景である。地方都市やその他住宅地がある地方部は一切頭に入っていない。
方言や訛りは地元の人たちなら絶対に使うことであり、全国どこでも共通する特徴である。
電車の切符の買い方や乗り方がわからないのは、あくまでも経験がないからに過ぎない。
教育の質が低いからというわけでも、社会的な常識やマナーに欠けているからではない。
遊ぶところがイオンだけだったというのは、たまたま近くにイオンモールなどが出店されたからに過ぎない。そもそも都市部にも出店しているため、田舎の象徴とは考えられない。
地方出身は恥ずかしいことではなく、「田舎コンプレックス」を承認する合理的な理由がないのは確かな事実である。