私鉄や地下鉄で使われている「梅田駅」とJRが名乗っている「大阪駅」の違いについて、なぜそれぞれ別々の駅名にしているのか。
場所は同じであるにも関わらず、鉄道事業者で使っている名前が異なる理由は3つある。元の原因といえば、戦前の鉄道開業の歴史にある。
目次
私鉄=梅田、JR=大阪
<大阪駅と梅田駅の違い> | |
「梅田」を名乗る | 「大阪」駅を名乗る |
阪急電鉄 | JR西日本(旧国鉄) |
阪神電鉄 | |
大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄) |
大阪市内の北の玄関口である梅田地区へ乗り入れる鉄道事業者は全部で4社ある。JR西日本、阪急、阪神、大阪メトロの4つ。
このうち、「大阪駅」と名乗るのはJR西日本のみである。それ以外の私鉄はすべて梅田駅としている。地下鉄四つ橋線は西梅田駅、谷町線は東梅田駅としている。
梅田駅と大阪駅の違いはあくまでもその名前の呼び方だけに過ぎない。
乗り換えも徒歩で可能なレベルであり、各社でも乗り換え案内を行っている。東京の「東京駅と日本橋駅・大手町駅」のような関係よりもさらに近い。
私鉄が梅田駅と名乗るようになった理由
梅田と大阪~理由は3つ |
地元でも大阪駅より梅田駅という呼び名が定着していたから |
私鉄の不動産開発の宣言文句も「梅田まで〇〇分」の方が効果的だったから |
国鉄は全国の人にもわかる駅名になる「大阪」にしたから |
地域住民は最初から梅田駅と呼んでいたから
国鉄東海道本線の大阪~神戸間が開業したのは1876年のことである。この時から、駅名はすでに「大阪駅」と名乗っていた。東海道本線は、この区間は今だとJR神戸線と呼ばれている。
>>JRの東海道本線と京都線・神戸線、違いとは!? 名前が別の理由
しかし、大阪駅というのは国鉄、すなわち政府手動で決められた名前である。地域住民はこのように国が主導となって駅名を決めることにはよくは思わなかった。
国の政府があるのは今も昔も東京である。国鉄も大阪の人たちで構成された機関ではなかった。
1908年に大阪市電(路面電車)が通るようになった際には、国鉄大阪駅との交点は「梅田停車場」という名前になった。
地域でなじんでいることも踏まえて、地元の鉄道事業者である大阪市が名前を決めても「大阪駅」ではなく「梅田駅」となった。
大阪駅の呼び名としては、以下のようなものだった。
- 「梅田駅」
- 「梅田ステーション」
- 「梅田すてんしょ」
1910年には阪急電鉄(当時:箕面有馬電気鉄道)が開業した際にも梅田駅、1914年には阪神電鉄が開業したが、こちらも梅田駅と名乗った。
したがって、次のような特徴がみられる。
- 国・政府主導の駅名:大阪駅
- 地元企業・自治体主導の駅名:梅田駅
政府主導で作られた鉄道の駅と地元の企業や自治体のよって作られた鉄道の駅では、それぞれ別々な形になったというわけだ。
私鉄が大阪駅にしなかったのは?
私鉄が梅田駅としたが、なぜ国鉄と同じように大阪駅にはしなかったのか。
それは、沿線の不動産開発には大阪駅よりも馴染みのある「梅田」という駅を宣伝に使った方が効果があったためだと考えられる。
「梅田まで〇〇分」と名乗ることで、郊外の土地を開発するには効率的だった。一方の「大阪駅」だと「大阪のどこのエリア」なのか理解できない人も多く、認知度が低くなってしまうという欠点があった。
阪急・阪神のいずれも「梅田駅」と名前を設定したもう1つの背景こそが、このような沿線の不動産商品の宣伝手段があった点である。
国鉄はなぜ「大阪」駅にしたのか?
そもそも、なぜ国鉄は梅田という土地名を放棄してまで「大阪」駅という名称にすることにしたのか。
おそらく、政府では全国の国民にわかるような駅名にしたいという思惑があったからだと考えられる。
当時大阪駅ができたときはまだ鉄道網がまったく発達していなかった。私鉄もまだまったく存在していなかった。
開業した大阪~神戸間の鉄道であることで、神戸側の駅名を「神戸駅」としたように、大阪側の駅名も「大阪駅」とするのは自然的な流れであった。
大阪市内に複数の鉄道が開業したのはまだまだ先のこと。国鉄が「梅田」と名乗る理由は最初はまったくなかった。
ところで! 今の大阪駅と梅田駅の違い
旧国鉄のJR大阪駅と私鉄各社の梅田駅が存在する今では、梅田駅と大阪駅の使われ方は全く異なっている。
- 大阪駅→JRの駅を呼ぶ際に使われる
- 梅田駅→阪急・阪神・地下鉄の駅を呼ぶ際に使われる
JRの駅のことを「梅田駅」と呼ぶ人は今ではほとんどいない。地元の人たちでも、JRの駅であれば「大阪駅」と呼ぶ。
一方で私鉄の方を指す場合には「梅田駅」と呼ぶ。今日ではかつてあったような愛称で呼ぶことはほぼゼロとなっている。